2018年3月12日月曜日

身延往還・参詣ブームで栄えた赤沢宿

昔は、赤沢はたくさんの人で賑わいとても栄えていました。
というのも、江戸中期ごろから「参詣ブーム」が始まり、
多くの人が訪れていたからです。
特に大正〜昭和初期ごろは最盛期だったそうです。

ところで「参詣」とは、
神社仏閣に行くこと自体を目的にした一種の旅です。
赤沢は、日蓮宗の総本山・久遠寺と
その信仰の山、七面山を結ぶ
参道のちょうど中間地点にあります。

この参道を「身延往還」と呼んでいて、
赤沢では石畳が敷かれています。
昔は、この身延往還を歩くことが「参詣」であり、
大人気のルートだったそうです。

ちなみに参詣ブームが起こり始めたのは、
自由に移動することが制限されていた時代。
「参詣」という信仰目的の旅なら比較的ゆるく
移動の許可が下ろされていたそうです。
さらに、江戸時代後期には,
東海道旅行を描いた
十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」や
同じく東海道の風光明媚な風景を描いた
安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」
が出版され、より人々の旅への好奇心をそそったようです。

もしかしたら、赤沢を通るこの身延往還のことも
誰かが本や絵なんかであらわした物があるのかなと
想像してしまいます。
もしあれば面白いなぁと思うのですが。
機会があれば探してみます。

身延山から七面山へ参詣する途中、
人々が赤沢に立ち寄って、宿泊したり、
ご飯をたべたりしたので宿場として
とても賑わって栄えたそうです(^^)